October 27, 2018

FOLKHOOD Travel
奄美大島

東洋のガラパゴスとも呼ばれる奄美大島。
本土と琉球、両方の影響を受けた文化が根付きつつも、陸には、亜熱帯気候のもと長い年月を生き残った天然記念物の動物達、海には、サンゴ礁やクジラの親子、ウミガメが産卵に上がってくる白い砂浜と、日常生活の合間で緩やかにサーフィンを楽しむ人々がいる風景。
この島は、他の島にはない独自の景色や文化を形成しているように見えます。
鹿児島と沖縄の中間に位置する日本の楽園は、野性味あふれつつも屋久島や石垣島などとはまた違う個性がある島。21世紀の人間の生き方、自然との関わり、文化、暮らし方などを見つめる時間と機会を与えてくれます。
Text and Photo by Aki Tomura / Itoki Tomura

奄美大島への旅

太陽が刻む太古の時間と共に

東京の羽田か千葉の成田から飛行機で約2時間ほど。鹿児島県に位置する奄美大島は、日本国内の島では佐渡島に次ぎ面積5位の島。美しい東シナ海に囲まれた内陸には、特別日本国指定のアマミノクロウサギをはじめ、ルリカケスなど10種類の国の天然記念物が生息するマングローブ林や、今にも恐竜が顔を出しそうな亜熱帯独自の野生的な原生林が広がる、日本国内でも数少ない手付かずの自然が残る貴重な島です。

まず、この島で感じることは、大気の存在。都市などの所狭しと動かないビル群の塊に囲まれた場所から移動してくると、奄美の大地は、大きな生き物の背中に乗っているようで、東京やシンガポール、ドバイといった大都市特有の街並みや、ヨーロッパの石造りの街などを渡り歩くことが多い日常からこの島へ来ると、海にいても、山にいても、大気が上から下から大蛇のごとく動き回るたくさんの風の道を目で追い、感じることができます。

海辺では、波の高さや直接肌に受ける風などで。山間では、風に揺らぐ植物の葉先の動きから山肌を撫でながら移動してゆく大きな大気の塊を眺めることができます。そして、空を見上げれば雲の形や流れや、夜は星などで明日の天気や季節などを多少の予測することが可能なのです。
そして、昼に活動をする鳥や夜に活動をする虫や小動物などの存在も、ほぼ見落とすことなく気配を感じる静けさが島の滞在にはあります。
この島の原生林は、朝日と夕日が1日1回づつ空を染めることを繰り返してゆくことや、月の満ち欠けを何万年も太古の昔からほぼ変わらぬ環境で眺め続け、古来種の種を脈々と引き継ぎ命を繋いでいます。

島の地理

本島は、奄美市・龍郷町・大和村・宇検村・瀬戸内町と5区に別れており、小島は、立神島、陸繋島、油井小島、崎原島、トビラ島、立神。本島から小島へは、フェリーで渡ります。
本島は、日本国内の地方都市と変わりなく大きな中心街があり、手に入らないものはない。特殊なものがあったとしても現在は、ネットなどで届く。そして、奄美大島は”島”といえど宅急便に関しては離島扱いではないため、私たちも長期滞在の場合は荷物を先に届けておき、仕事が終わり次第飛行機に乗るような手軽な旅ができます。
手軽さと言えば、成田空港からLLCのバニラエアが奄美への直行便を出しており、早めに計画が立てられれば国内旅行の相場に比べると破格の旅行ができるリゾートになる可能性もありますが、島での移動には車が必須なこと、島での変わりやすい気象には注意が必要です。近年大型化している台風被害の影響をこの奄美大島も受けており、今年の2018年も8月から10月頃まで、14号から21号まで避難の必要のある台風が何度も直撃したことをニュースで観た方も多かったのではないでしょうか。

農業はサトウキビ、サツマイモの生産が主で、タンカン、ポンカン、スモモ、パッションフルーツ、マンゴーなど。サトウキビ由来の黒糖焼酎の生産が盛んで、単式蒸留で水色は一般的には、明澄(透明)。個性が違う数社の酒蔵がありますので、現地で飲み比べをして好きな醸造元を探してみてはいかがでしょう。
龍郷町大勝の長雲山系の麓にある山田酒造さんは、原料から100%自社産の黒糖焼酎を造ることを目指した焼酎造りに取り組まれています。お邪魔すると、かち割りの黒砂糖と緑茶を出していただき、2019年に出荷予定の自分たちで米作りまで行い生み出したこだわりの新銘柄のお話を伺いました。定番商品の「あまみ長雲」は、奄美在住の染色家、夏八木ことさんのお勧めで、滞在中は、どこの店にもボトルキープしてまわるほどFOLKHOODメンバー全員が好きな銘柄です。

世界的にも珍しい伝統工芸、大島紬

今年、私たちは伝統工芸師の肥後明さんの工房にお邪魔して、リトアニアのリネン、ラトビアの木地を伝統的な泥染をする作業を行いました。工房での時間は、まず人工的な音が消える。時々風、時々鳥、程度で、話し声も小さな声で済み、誰かの独り言までしっかり聞き取れ、返事やツッコミが出来るような環境です。
作業をする音で誰がどこで、何の工程を行っているかが確認せずとも把握できる。外にいても、藍甕の蓋を誰かが開けただけでも、誰が、どの工程に向かい、何をしたいのかがわかる。(素人が工房にお邪魔しているため、その手順が間違っている場合は、すぐに人が飛んで来る)工房での染めの作業は、おしゃべりをしながらといった和気藹々とした空間ではなく、ただ、黙々と手で車輪梅の液に糸をくぐらせ、ムラなく染めるために回転させる作業に集中する真剣勝負の場。屋内である工房の外にも作業場は、泥田、天然の川などが続き、各現場での作業に同じ程度の時間を費やします。

奄美大島の気候の中での私が体験した泥染の作業は、生死の繰り返しのようでありました。
私が担当したラトビアの木地を染める作業は、大島紬の糸を染める順番の工程こそ同じだが、正確には糸染めの作業に比べるとかなり楽な作業といえる。同じ工程でも作業量と苦痛は天と地ほどで、植木鉢で育てる二十日大根と稲作で一反田んぼを仕上げるくらいの労力の差があります。
それでも作業は全て一点づつ行います。磨き、葬い、泥の中から生命を救い出し、産湯につけるような作業を何度も何度も繰り返し、泥染の黒との出会いを待つ。

生活においての美意識とは、どこで、いつ、誰に作られているのか?そんなことが頭をよぎる。
工芸を生み出す側に立ち、その仕事に触れると、必ず「これを日々の仕事として人生を終える覚悟はありますか?」という問いと向き合うことになる。伝統工芸という世に出ているものには、想像よりも多くの人が関わり、生産環境により大きく完成度が左右する。人が住めない環境からまず仕事は生まれてこない。自然と人との共存が成り立った土地の素材と持続性のバランスを知る経験とともに加工する技術が生まれ、世代をまたいで引き継げる伝統産業を繋いできた。
美を感じるものの背景には、名乗りでることのない人々が数多く関わっている。
まず、その仕事を行うために先人が土地を開拓したのちに、その仕事にとって恵まれた環境が存在している。そして、紡ぐ人、染める人といった技術を受継ぎ、日々こつこつと手を抜かずに根気強く向き合う仕事を人生をかけた生業とすることを決意した人がいる。そのそれぞれが整備された後に技術や個性を極めた一素材が結集し、最終的な一つの商品が生まれる。

大島紬が一反200万円するものがあることは、作業工程を知ると理解できるが、例えば銀座で初心者向けにこの気の遠くなるような彼らの仕事の価値をどのように説明しているのかを聞いてみたい。
今回は、泥染の作業だけで大変なことを学んだが、偶然にも私の叔母の嫁ぎ先には、大島紬の織り子として子供の頃から働き、晩年ほぼ失明に近い形で視力を失った優しい女性が引き取られて暮らしていた。その当時の私は子供で、大島紬を見ても男物の反物としか思っておらず、美しさと複雑な生産背景は理解できなかった。
初めて奄美に訪れて作業工程や技術の説明と見学後に、やっとあの視力を失う原因を理解した。もしかしたら苦労を知らずに失礼なことでも言ってなかったか。今は亡き彼女を機織りの音を聞きながら思い出した。
21世紀の大きな転換期を迎え「価値とは何か」という問いの本質を奄美大島で探し当てることができるのは確かである。工芸、農業、自然、1日という時間との向き合い方などを含めて、生き方、働き方に関する考え方のリセットができる島ではないだろうか。

奄美大島での夏は、何もせずに立つだけでも額やこめかみ、首筋、あらゆる毛穴から出る汗が上から下へと身体の中心に向かい流れ、心臓あたりの胸元や、その裏側の背中あたりで合流し、着ているシャツを重たく湿らせては、日暮れとともに乾いてゆく。島の若者たちは、昼間の汗を波と戯れることで流しているようだ。日暮れに近づくと浜辺に集まるサーファーたちの波の情報交換をする「今日、どう?」「いいね」といった極めてシンプルな会話が行き交うスポットがある。その場には、東京やNYにあるような甲高い声の社交辞令や挨拶などはない。作り笑顔のないごく自然な挨拶と交流ばかりで居心地が良い。だが、見たことのない”知らない人”に関しては、シャイだと言える。
それは、アマミノクロウサギなども同じ、島が持つスピリットと経験によるものであろう。もしも、土地の人とどうしても仲良くなりたい場合は、一晩黒糖焼酎を呑み明かす機会を得ることをお勧めします。
仕事自体が機械的に働かない人が多いのか、同じ時間、同じ日にサーフスポットへ人が集中することもそれほどなく(観光シーズンは島外からのサーファーも来るようですが)、それぞれが無理なく自分のペースで行っては戻る出入りがあるため、陸に上がった人や高い位置から波間を眺めている人もおり、特にライフセーバーなどがいなくても良い波のスポットには人の目がある浜辺が多いようです。

この島には、マングローブ林や、ヒカゲヘゴの茂る近作原原生林などを見て回ることができる。天然記念物のあまみの黒うさぎをはじめ、ルリカケスやアカゲラなど見たことにないカラフルな鳥も見ることができる。
島の人たちは、鳥の鳴き声を聞き季節の移り変わりを感じているようで、日常の何気ない会話の中にも「今日、アカショウビンが来たみたいだよ」「今年初めてアカショウビンの声を聞いた。春が来るね」といった動物や自然が関わる会話をよく聞きます。

それと自然の植生など以外に島の景色を独自にしているのは、島特有の宗教観かもしれません。神社の鳥居は時々見ますが、仏教寺院はほぼ見かけることはなく、その代わりカトリックの教会が島の北部に多く見かけられます。西洋にあるような大げさな石造りのものではなく、小さな木造の教会などが多いようです。

公的行事を取り仕切るノロは存在しなくなったとのことですが、巫や巫女と比較されるユタによる民俗信仰は残存し、私たちも地元の方に声がけしていただきお塩とお酒、お布施を持ってお邪魔してきました。「天照大御神」の掛け軸の前に座るにこやかな優しい女性で、生年月日だけ伝えたところで「ところで、あなたの旅についてですが」と移動の多い生活を2-3秒で見抜かれ大変驚きました。
旅は、まだまだ続くこと。家族の健康は心配ないこと。喉が痛くなったら疲労のサインだと思い、何もせずに二日ほどしっかり寝て休むこと。そんなことを教えていただきました。
私以外の友人たちは、「嫁にばれていないと思っている浮気は、バレているからね」といったお叱りから、「会社で次のチャンスが来るから10月にご期待(見事に言い当て)」などもあるようで、心当たりのある方は、覚悟した方が良さそうです。基本的に、ユタさまは占い師などではなく、地鎮祭をしたり街ごとにコミュニティーを守るのがお役目。冷やかしなどでお時間をいただくことはご遠慮しましょう。

伝統料理はやはり豊かな海産物もありますが、ここでしか味わえない伝統野菜などでの郷土料理も多い。そして、夏場は、様々な南国のフルーツがたわわに庭先に実っています。この光景には、思わずハブの存在も忘れて茂みに入ってしまうこともしばしば。
この島には、若い移住者がとても多く、アーチストや農園を持つ方、パン屋さん、ゲストハウス、レストランと色々な個人商店を営む方がおり、世界の料理や様々な種類のパンなどがいつでも手に入ります。
地方特有の世界から取り残されたような寂しさを感じずに過ごせるのも、もしかしたらこういった都市の味や、コスモポリタンな人たちの存在が、飽きのこない島滞在の居心地の良さに大きく関わっているようです。

掲載誌
奄美大島での取り組みの様子は、
Discover Japan誌
2018年12月号 Vol.86 特集:目利きが惚れ込む職人の逸品」にて、
6ページにわたり特集掲載いただきました。

October 27, 2018

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奄美大島

東洋のガラパゴスとも呼ばれる奄美大島。
本土と琉球、両方の影響を受けた文化が根付きつつも、陸には、亜熱帯気候のもと長い年月を生き残った天然記念物の動物達、海には、サンゴ礁やクジラの親子、ウミガメが産卵に上がってくる白い砂浜と、日常生活の合間で緩やかにサーフィンを楽しむ人々がいる風景。
この島は、他の島にはない独自の景色や文化を形成しているように見えます。
鹿児島と沖縄の中間に位置する日本の楽園は、野性味あふれつつも屋久島や石垣島などとはまた違う個性がある島。21世紀の人間の生き方、自然との関わり、文化、暮らし方などを見つめる時間と機会を与えてくれます。
Text and Photo by Aki Tomura / Itoki Tomura