September 2, 2018

FOLKHOOD Travel
Baltic States and Helsinki
2018

English follows.
Text and Photo by Aki Tomura / Itoki Tomura

English follows.

Made with Japanの取り組みを探して辿り着いた旅路

目覚ましい発展を遂げるバルト三国

私たちが取り組んでいるMade with Japanプロジェクトで最初に選んだ国は、2017年にラトビアの木工。そして、続く2018年は、リトアニアのリネンでした。視察で通い始めたのは2016年。この3年の間にもこのエストニア、ラトビア、リトアニアの三国に関しては、目覚ましい発展を遂げています。

日本からの窓口として便利なヘルシンキへ

本数が多く、何より乗り心地の良いフィンエア。2016年のヘルシンキ・ヴァンター国際空港では、乗務員さんたちが生花の冠をかぶり、美しいハーモニーで民謡を歌いながら空港内を歩き飛行機へ搭乗。追いかけてみると何と行き先は、福岡。そんな光景に出会うこともありました。

小さな街で北欧デザインがたっぷり見て回れるヘルシンキ。中央駅が見える場所に宿をとり、私たちは毎年街を歩いて回ります。
Original Sokos Hotel Vaakuna, Helsinki
Original Sokos Hotel Vaakuna, Helsinki
Scandic Seurahuone
Scandic Seurahuone

国際空港行きのバス乗り場へは、ホテルの窓からも見える場所で、歩いても2-3分ほどの距離。重たいトランクを持ってタクシーやトラムで移動することもなく帰路にて東京へ向かう最後の移動の場合のお買い物などを楽しみに各地を巡る荷物の多い方は、この空港へのアクセスの良さは身に染みてありがたみがわかるはずです。

ヘルシンキは、常に情報が更新されている大都市ですので、滞在日程の最新情報で予定を組まれると良いと思います。
私たちが到着して荷物を置いてまず出かけるのは、アテネウム美術館や港の市場、Old Market Hallなど。
2016年には、「JAPAN MANIA」という北欧の作家たちが日本の美術に影響された作品を集めた展示会が行われていました。こちらには、歌川国貞や歌川広重、鈴木春信による浮世絵も所蔵されています。
同時期にデンマークのコペンハーゲンにあるデザインミュージアムにて、デンマークと日本が外交関係樹立150周年を迎える2017年を記念し、二年間にわたり「LEARNING FROM JAPAN~私たちが日本に学んだこと」という大規模なジャパンコレクション企画展がありました。

ヘルシンキからの小旅行

お買い物やデザインなどには興味がないという方は、市場のある港から、半日旅行ができます。リトアニアからエストニアの過ごしやすい滞在の後でのヘルシンキの活気は、これから東京に戻る私たちにとっては少し心が暗くなることもあり、街での人混みに慣れない時には、島へ渡って過ごすのもお勧めします。
ユネスコの世界遺産に登録されている海洋要塞の島、スオメンリンナ島(Fortress of Suomenlinna)には、観光だけではなく地元の方も行楽地として足を運ぶのだそうです。
瀬戸内海の小島を行き交うほどの小さな船で15分ほど。お天気を確認してからチケットを買うほど手軽に移動できます。ロシア帝国からフィンランド南海岸を守る目的で1748年に要塞の建造に着手、1991年に世界遺産に登録されています。実際に生活している住居も多くありますので、生活の方々の邪魔にならない程度に静かに散歩を楽しむ島です。
島観光案内はこちら

*海上の移動は、陸よりは時間が読めず天候でも変わりますので、その日にフライトがある場合は、無理は禁物です。船の本数もそれほど多くなく、幾つかの島を経由しながらのんびり渡りますので、時間も日本ほど正確ではありません。

エストニア

スカイプ発祥の地としても私たちの生活にもエストニアのサービスが身近ですが、その他にも実は私たちが取り入れたマイナンバー制度もエストニアの導入システムをベースに取り入れられたものです。2016年に滞在中に現地にて日本における制度取り入れについて「エストニアでは人口が少ないからトライできた制度で、日本の人口で短期で機能させるのは難しいののでは?」との意見にシステムや目的自体を知らない自分を恥たものでしたが、その後、どのように日本で機能してゆくのか見守る必要があるようです。
エストニアは、フィン人に近縁の民族で、エストニア語もフィンランドと同じウラル語族。国土は日本の1/9程の九州ほどの面積で、人口は約132万人(2017年)で、日本で近い人工の都市は134万人ほどの長崎県や奈良県。30代の若い首相、Jüri Ratasさんは、奥様も元国民的アイドルということで、若く人気のある政治家だと現地の方に教わりました。

IT大国として電子政府「e-Estonia」 による電子投票から、国民IDカードによる電子署名、外国人が登録できる“電子国民”「e-Residency(電子居住権)」など、例を見ない新しいシステムを次々と導入。行政サービスの99%がすでに電子化されており、企業登録、税申告、出生届、移転届け、などあらゆる手続きをオンラインで済ませることができ、個人情報は、通院記録からお薬手帳のようなものまで兼ねるそうで、将来的には、このカードがパスポートにもなるはずだと彼らは話します。

2012年にエストニア政府が開始した「ProgeTiiger(プログラミング・タイガー)」と呼ばれる小学1年生から高校生までを対象にした全国レベルのIT教育イニシアティブがあり、プログラミングやロボット開発などを通じて、テクノロジーに関する基礎知識・スキルを学ぶことから始まり、現在は国内IT企業からも支援が集まり、IT分野の留学生を2倍にし、就労ビザなしで働ける許可を出すなど、これは、近年のニートと呼ばれた家を出たくないという子供達にも居場所を提供できる教育なのではと感じたり、今後も様々な時代に合わせた新たな取り組みでこれからも時代を切り開いていくようです。

ヨーロッパの首都としては初めて公共交通機関を無料化

車の渋滞や使用削減、地方の過疎化と化石燃料の消費を抑制を目的に、2013年より首都タリンで国民に対しては公共交通機関を無料化。その後2018年にエストニア全国に拡大した。現在は、ルクセンブルグが2020年に向けて無料化を予定しています。

そういった近代的な教育や仕組みとは裏腹に、首都タリンの街並みは中世の面影残る旧市街が中心です。ヨーロッパ最古と言われる薬局も旧市街の中にありますが、新しいデザインもヘルシンキあたりと同じレベルで良いものばかり。
それもそのはず、中心街からすぐの港からヘルシンキまでは、フェリーで2時間ほど。タリンよりも時給が高いからとEU加盟後は、ITなどの専門職やデザイナーで、タリンに住みながら、ヘルシンキへ通勤する方も多いのだそう。
フェリーの中で「タリンの方が物価が安いから、持って来いと言われてね」とパーティー用のビールを箱で運ぶ楽しげな若者に出会ったこともありました。
私たちも、ヘルシンキでは、ロンドンやパリとほぼ同じような物価に上がるため、ヘルシンキへの船出前にタリンの滞在日数を数日伸ばし、最後の贅沢を楽しみます。

ラトビアへ

バルト三国の中央に位置するラトビアは、リトアニアと同じインド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属すると言われますが、ラトビアとリトアニアでの意志疎通は難しく、歴史の流れの中でドイツ語、リヴォニア語、エストニア語、スウェーデン語、そしてロシア語などの影響を受けて独自の言葉に進化してきており、20世紀までドイツのフラクトゥールが使われていたことから、ドイツの影響が強いのでは?という人も多くいます。

首都は、バルトの真珠と呼ばれた都市リガ。バルト三国の中でも一番人口の多い街です。昔から交易の要所として多文化が混ざり合うコスモポリタン都市で、建築などを通じてその様子を観て回ることができます。アールヌーボーが好きな方は、19世紀末期〜20世紀初頭に盛んに建築された無数のユーゲントシュティール建築群をElizabetes StreetAlbert Streetあたりで観て回ることができます。
保存された博物館などではなく実際に商店や事務所、住宅として使われている活きた建築であることが貴重です。Albert Streetでは、ミハイル・エイゼンシュテインの作品が並びます。このミハイル・エイゼンシュテイン氏の息子は、ロシアの映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテイン。「戦艦ポチョムキン」などが有名で、一時、日本人に漢字を習ったことからモンタージュ理論を生み出したと言われています。セルゲイ・エイゼンシュテインは、1920年代の日本映画に関して「最近の日本映画は米国映画の真似ばかりをしている。なぜ日本独自の映像美を語ろうとしないのか」と手厳しく批判していることから、彼の日本文化への理解と眼差しを感じ取ることができます。
内部の階段などまで(くれぐれも許可なく侵入しないように)観て回れる建物があれば、細部も見て回ることをお勧めいたします。
建築好きでなくても多くの人に写真を撮られているのは、旧市街リーヴ広場北側の「猫の家」の猫さん。ガイドブックには、一匹の写真が多いのですが、建物正面から見ると実は、両脇に二匹います。

ラトビアと日本の共通であることといえば、同じ自然崇拝に基づく神道が根付くこと。ポーランド、スエーデン、ドイツ、ロシアと諸外国による征服による激動の時代の裏でも長らく脈々とラトビア神道は守られ、自然の中に神々が宿るとする自然信仰は、緑豊かな森と自然に根差した人々の暮らしを守ってきました。
ラトビア神道は度重なる他民族の長い支配や迫害を受けつつも、日本と同じく鎮守の森や、ご神木という場を守り、日本の正月などの伝統行事(ラトビアでは、夏至と冬至)と同じく、ラトビア神道の精神性を各家庭で守りました。
そして、2017年に首都リガから東にあるダウガウ川に浮かぶ中洲の島にラトビア神道神殿が中世ぶりに復活。千木、鰹木がある屋根の形など、形にも儀式にも日本と共通することをいくつも探すことができるそうです。
太陽神、雷神、蛇神、といった守り神を図案化した紋様は信者を守り力や美を与えるとされて大切に守られ、織物のリエルワールデ帯を使い自分の守り神を探す儀式もあるのだそう。

より詳しくラトビアについて学びたい方、取材、研究などは、専門家のUgis Nastevics氏に事前に申し込みをし、現地にてご案内いただくことをお勧めいたします。(有償のガイドになります)

街の中にも薬草療法の店やオーガニックショップが多くあり、伝統的な手法を取り入れつつも、現代生活に合わせたデザインや遊びがあり魅力的です。
そして、2016年は、ヨーロッパグルメ特区に選ばれていたラトビア。新旧さまざまなクオリティーの高い料理を手軽に楽しむことができます。私たちが毎年楽しみに予約を入れるのは、3 Pavaru RestoransRestaurant 3など、他にもラトビア料理からヴィーガン仕様まで誰もが楽しめる街です。

リトアニアへ

リトアニア(Lietuvos Respublika)の首都は、ヴィリニュス(Vilnius)。首都ヴィリニュスは中世の旧市街で知られ、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式の建築物など「ヴィリニュス歴史地区」として、1994年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。リトアニア語は、インド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属するもので、独自のアルファベットや読み方や発音があり、短期で習得するのは難しそうです。
リトアニアと言うと、日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝さんの取り組みが近年取り上げられることが増え、私たちも2018年のmade with japanの取り組みでは、彼が発行したビザで最初に着いた日本の港が福井の敦賀港であったことから物語をつなぎ、福井の鯖江の漆とラトビアの木地との開発を試みました。
しかし、それより前、リトアニア内で正式に発行されていないにも関わらず今でもベストセラーの数字を抜いていないと言われる書籍があり、それがステポナス・カイリース著「日本論〜全三巻」。「日本の今昔(Japonija seniau ir dabar)」「日本人の生活(Kaip Japonai gyvena dabar)」「日本の憲法(Japonu Konstitucija)」の3部からなる帝政ロシアの支配下で禁止されていたリトアニア語で書かれた冊子で、1905年、日露戦争で日本がロシアに勝利したことを受けて、極東の小国がヨーロッパの大国にどのように勝利に至ったのか。若者たちが大きな夢を描き、この本を手から手へ渡して熱心な日本研究がされたと聞きます。「日本は、どこにも土地の神がおり、人びとが訪れる価値のあるなにかしら特別の社寺があり、社寺を訪れれば、きれいな森も海も山も見られ、要するに手のひらいっぱいに自然の美を掬(すく)うことができる」、または、ロシアの報道にある日本のネガティブキャンペーンについては鵜呑みにしないようになどという記述があるようですが、ロシア・サンクトペテルブルグで入手した日本の資料を基に執筆しており、来日経験はなくベースになる表現は、ロシアのフィルターのかかった日本となるようですが、それらに描かれた日本人の姿とは、”太陽のように明るく道徳心に富んだ民族”として、また、サムライ魂について、そして、戦争に向かう若者に関しても、微笑みながら死ねる人、といったことが綴られていたようです。
14世紀にはリトアニア大公国としてバルト海から黒海に至る領土をもつ堂々たる大国であったリトアニア。過去には世界一自殺率の高い国となったこともありましたが、これからは、将来が期待できる国として、今度は私たち日本が学ぶ番に変わることも近いでしょう。
ヴィリニュス大聖堂のあるカテドゥロス広場は、イベントなども多く街の中心とも言えます。ここには、1989 年に行われた独立運動のひとつ、「バルトの道」にまつわる一枚の敷石があります。この「バルトの道」とは、100 万人以上もの人々が手を繋いでバルト三国をまたがり、600 km もの人間の鎖を作ることで、ソビエト連邦の統治下で独立を訴えた平和的なデモ活動として支持されました。広場にある STEBUKLAS (奇蹟) と記された記念碑は、ここが「バルトの道」の始点であることを示しています。

夜明けの門(Gate of Dawn)と大聖堂(Cathedral Square, Vilnius)、聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)教会は、ぜひ、足を運んでいただきたい場所です。

聖ペテロ & パウロ教会は、(Peter & St. Paul Church)教会内にイタリアから招かれた彫刻家とともに地元の職人も数百人従事し、約30年を費やして完成した2000以上ある漆喰彫刻があります。同じものがなく、扉を開けた瞬間から息を飲む美しさに引き込まれます。ここで気づくのが、リトアニアでのマリアもイエスも肌の色が他のヨーロッパ地域の像や絵と違い、褐色であることです。私たちから見ると西洋文化は、ひとくくりに見えますが、イエスを抱くマリア像のある西方教会と、十字架に磔刑されたイエスの像のある東方教会とでは、男性と女性の様にどことなく違うコミュニティーの雰囲気を感じます。東欧と呼ばれるリトアニアは、その中間地点にあり、西方、東方の文化の分かれる場所にあるようで、何度訪れても興味深い発見があります。

市内散歩

夜明けの門(Gate of Dawn)
16世紀、攻撃から街を守り旅行者を祝福することを目的に、宗教的なモニュメントが門の内部に作られることとなり、門の中のチャペルに数世紀にわたって、リトアニアの守護者である聖マリア(Blessed Virgin Mary)の肖像があり、奇跡を起こすと言われ、数世紀にわたりカトリック教徒と正教徒の双方から平和の象徴として崇敬されてきています。街に9つあった門のうち16世紀の当時の姿で現存しているのはこの門のみ。

観光案内からの抜粋
このイコンへの民衆の崇敬は、1655~1661年の間に始まったと言われ、1655年、ロシアとの戦争の際に、ロシア軍はヴィリニュスの街を破壊し、街は17日間もの間、炎に包まれましたが、このイコンは奇跡的に無傷でした。ヴィリニュスの市民は、聖母にとりなしを求めたところ、毎晩、「夜明けの門の聖母」の姿が夜空に現れたと信じられています。その後も、火災や戦災にあいながらも、 隣接する聖テレサ教会に置かれるなどしながら、大切に崇敬され続けてきました。1671~1761年の間には、少年を生き返らせるなど、17もの奇跡を起こし、近隣諸国からもさらに多くの巡礼者が訪れるようになりました。この17の奇跡については、18世紀になり、ヴィリニュスの司教とローマ教皇も認めています。

カウナス、トラカイなど郊外にも

郊外や他の都市への移動は、鉄道や、バス、レンタカーなど、行く場所や人数などに合わせて調べて移動します。
市場に併設しているバス乗り場の観光窓口で相談すると、詳しく説明してくれます。

十字架の丘
リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する巡礼地で、ロシアの戦争に連れて行かれたまま戻らぬ家族を偲び、家族が十字架を置き始め、後に非暴力による抵抗の表現が始まりと聞きました。ロシアは何度かブルトーザーで撤去を試みますが、それでもまた一人、二人と十字架を運び、1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、そして犠牲者のための場所であると述べ、現在は、自由に出入りし、十字架を建てることができるようになっています。

リトアニアでの食事もオススメです。こういったフレンチよりのものは、滞在中に好んで食べるものではありませんが、北欧食の価値観は古い日本と近いものがあり、なんとも居心地がよい時間を過ごせます。ビールやワイン、ジュースまで地産地消のよいモデルが集まるので、来年は食の取材もして周りたいというメモ兼ねて添付しておきます。

リトアニアの情報は、2018年にリトアニアと日本の伝統工芸を結ぶ取り組みを行ったこちらにも書き込みをしております。

ヘルシンキ、エストニア、ラトビア、リトアニアと物価が下がる順にご紹介いたしましたが、こうして旅をしてゆくと同じ通貨で暮らすユーロ圏で、国境を越えると人間の仕事と貨幣価値が変わることが不思議に思えてきます。
IT関係でバリバリ働くスーツの男性から森の片隅で木を削る男性、どの国も同じ心地よいもてなしをしてくれるレストランの方々を思い出しながら、これからの生活と経済、一人一人の仕事、教育などについて日本がどうあるべきなのかを深く考える機会にもつながります。

<Media>
参照:Made with Japan取り組みの記録
2017年 
Discover Japan 2017年9月号 Vol.71
8ページにわたり、紹介いただきました。

Made with Japan ラトビア+福井鯖江
ラトビアの木地編
鯖江の漆編

Pen+(ペン・プラス)
地方から発信する日本のものづくり「メイド・イン・ジャパンを世界へ!」
6ページにわたり、紹介いただきました。

2018年 
Discover Japan 2018年12月号 Vol.86
Made with Japan リトアニア+奄美大島 
6ページにわたり紹介いただきました。

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Text and Photo by Aki Tomura / Itoki Tomura