Wild・Luxury Sri Lanka
野生的で美しいスリランカの文化を巡る
日本からスリランカへの旅は、CMB-バンダラナイケ国際空港への直行便が成田から多く出ており、空港から市街地のコロンボへは車で一時間ほどで、バスかタクシーで向かいます。
1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。その後の1972年にはスリランカ共和国に改称。スリランカの首都は、コロンボの中心部から南東に約10kmの地点に位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(Sri Jayawardenepura Kotte)通常はコッテまたはコーッテ(Kotte) と略されて呼ばれるようです。1985年にコロンボから移されました。
スリ・ジャヤワルダナプラには、1000床のベッドのあるスリ・ジャヤワルダナプラ病院があり、この病院は、1983年に日本の無償協力プロジェクトによって建てられたもの。建設当時スリランカ最大規模の総合病院となり、人造湖の周囲を巡る道路に、Sri Lanka Nippon Mawatha(スリランカ日本通り)と名付けられた通りが存在します。
スリランカは、医療も教育も無料。羨ましい限りです。
言語は、シンハラ語。英語も通じますが、翻訳アプリには、シンハラ語もありますので滞在中はアプリでシンハラ語も準備して単語のやり取りだけでもコミュニケーションすると楽しめます。
スリランカの民族は、シンハラ人が多く宗教では仏教が多数を占めますが、多民族・多宗教の国家。国民の7割が仏教徒。その次が、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教と続くそうです。
タミル人、ムーア人、ユーラシアンと呼ばれるバーガー人、先住民のヴェッダ人などと分かれ、タミル人といっても、古代以来の移住で形成されたスリランカ・タミルと、19世紀半ばにイギリスが南インドからプランテーション経営のために労働者として連れてきたインド・タミルに分かれる。ムーア人も9~10世紀頃に島に住み着いたアラブ系の人々を主体とするスリランカ・ムーアと、インドから移住してきたインド・ムーアに分かれる、など細かくそれぞれのルーツを語れるようです。
アジアンリゾートの源泉、ジュエフリー・バワの思想
インフィニティープールを始めて見たのは、残念ながらシンガポールのマリーナベイサンズ。以降、アマンリゾート経由、ジュエフリー・バワ(Geoffrey Bawa)を知るに至りました。
ジュエフリー・バワは、コロンボ出身のスリランカを代表する建築家。植民地的な考えや、土地や自然を制する技術、政治力や経済力を表現した造園家アンドレ・ル・ノートルを源流とする様な西洋的デザインから脱皮し、建築の室内も自然と共に内も外もなくシームレスにつながる設計を試みている。
全ての建築は、土地と共にあり、自然に帰化する建築を目指す、という思想は、スリランカが他文化に統治される前から脈々と続く自然と共に生き、自然の一部として存在するという土地本来の持つオリジナルの思想に戻そうとする試みかもしれません。もしくは、紀元前3世紀にインドから伝来したアーユルベーダがスリランカ固有の伝統医学、デーシャチキッサと融合し今に至る様に、良いものを見極め土地に合う形に進化させた仕事ともいえます。
代表作、森の中のへリタンス・カンダラマ(HERITANCE KANDALAMA)は、巨大な岩に沿うように建てられ、現在も年々緑が生い茂り、現在も自然との融合を続けているバワ建築の中でも最も人気のホテルです。
その業績は、トロピカルモダニズムの第一人者という表現をされているようで、アジアンリゾートで感じる独自の開放感や豊かさの基礎となる源流思想を生み出し、その考え抜かれた空間からは、時代を超えて私たちに常に土地の持つ独自の魅力を最大限に伝えてくれます。
日本におけるバワ建築は、1970年の大阪万博のスリランカのセイロン館。バワの設計によるものでした。
スリランカ内で8軒のホテル、3軒の公共建物、そしてNo.11やルヌガンガのプライベート空間の建築などを見て回ることができます。コロンボでは、スリランカ国会議事堂(The Parliament of Sri Lanka)、シーマ・マラカヤ寺院(Seema Malaka)、ナンバー11(ガイドツアーを要予約)。観光で訪れることの多い、シギリヤに近いDambullaでは、ヘリタンス・カンダラマ(Heritance Kandalama hotel)、水辺のリゾートへ行く方は、ゴールのジェットウィング・ライトハウス(Jetwing Lighthouse)などの作品を見ることができます。目的や訪問予定地に合わせて近くにあるバワ建築も検索し、見学や宿泊を予定されてみてはいかがでしょうか。
ジェットウィング・ライトハウスで眺めるインフィニティープールは、シンガポールで見るジェットコースター的な度胸や緊張感をもちろん必要としない穏やかで美しいものでした。背景の海や空と一体化して繋がりつつ、湿度のある潮風が頬を優しく撫でるプライベートな水溜り。時間を忘れて大自然の一部に溶け込むことができます。
上手で賢い物々交換
セイロンの山を降りた場所に、美しい滝がある観光スポットがある。
運転手さんがここでお茶して休憩がしたいというので、もちろんどうぞと一休みすることにした。
無造作に並べた石を見ていると、「Are you from Japan?」と、一人の男性が歩いてきた。「日本円を持っているのだが、ここでは変換できないので、スリランカルピーに変えてもらって良いか」と頼まれる。確かに、山奥のこのような場所に日本円は必要ないかと為替変換アプリで金額を見せながら600円を変換してあげることにした。すると、お礼に「この石、幾つか持って行け」と。好きな石をたっぷり選んで、お礼を述べると、もう一人またニコニコと人懐っこい顔をした男性がやっていて、「娘が日本の大ファンなんだけど、日本円欲しいな」という。「娘さん、いつか日本に来てくれたら嬉しいな」と話しつつその600円で石をまた山ほどいただく。
お互いに何も不満もなく、心地よいコミュニケーションと交換をした。
これを手の込んだ商売と呼ぶなら、それも成立すると思うし、もちろん詐欺ではない。見ていただけの客から、日本円にして600円分の石を買わせることに成功したわけですが、私もいらないものを押し付けられたわけでもなく、欲しいと思うものを、欲しい分量(手にもてる分量)だけ手に入れた、という交換である。
実際に東京に戻り上の写真を個人のFacebookに掲げたところ、欲しいという人が殺到し、あっという間の数日で手元を離れていきました。
スリランカは、宝石の産地でもあり、採掘から加工までの大きな産業があります。ジュエリーデザインなどをされる方は、個人でも良い材料にであるのではないでしょうか。
ポヤデー
ポヤデイとは、満月の日の事で、スリランカでは土日の他に、各月の満月の日も休日(満月祭)となります。この日は通常の土日とは違い、仏教由来で寺院に参詣し満月を祝う日となり、基本的な不浄の活動(経済活動や、食肉、その他)を控え、寺院に足を運びゆっくりと過ごし信仰心を新たにするという習慣で、ストアー等では肉等の取り扱いを停止し、全土的にお酒も飲まない日とされます。特に、5月の「ウェッサク祭」は年に一度の盛大なお祭りになるそうです。通常の満月祭でも、キャンディーのお寺には、美しく飾られた象が歩いて入ってきたりかなり盛大に見えましたが、それをしのぐお祭りとなると、相当な賑やかさが想像できます。
この休日には、道端には無料の食事や飲み物、お菓子(アイスクリームが人気)などを振る舞う屋台がたくさん登場し、人気がある場所では渋滞に巻き込まれることもありますので、満月が滞在中に重なる場合は、移動時間に充分な余裕を持ってスケジュールを立てた方が安心です。
移動しながら眺めた景色は、配る食事の器などが植物の葉を使用したものが多かったこと。これは、もしも食べ終わってポイと捨てても土に還るもの。良い循環だと思い写真などに収めました。
足元から芽吹く植物と共に
セイロンティ Ceylon tea
1972年までスリランカの国名でもあったセイロン。今は、お茶の名前として世界で親しまれています。
スリランカでも一番の産業であり長い歴史を持ち、年間生産量は24万トン超。世界の茶の生産のうち10%がここから生まれているそうです。
ハイ・グロウン・ティーとして世界三大銘茶のひとつであるヌワラ・エリヤ (Nuwara Elliya) を見学しました。
想像を絶する広大な畑。多くは岩場や転げ落ちるような急斜面で、ここでの作業は、スリランカ人でもスリランカで一番辛い仕事、と説明されました。いまでも多くの作業が手作業で行われています。年間生産量は24万トン超であり、96%が国外に輸出。そのうち7000トンは日本が輸入しており、私たちにも大変身近な紅茶です。
スリランカでは、茶園と加工工場の標高によって、ハイ・グロウン・ティー、ミディアム・グロウン・ティー、ロー・グロウン・ティーの3つの種別に分けられています。
ハイ・グロウン・ティーHigh Grown Tea
標高1,300メートル以上の産地。
バラのような香りがあり、爽やかで渋みが強い。世界三大銘茶のひとつに挙げられるウバ (Uva) をはじめ、ディンブラ (Dimbula) やヌワラ・エリヤ (Nuwara Elliya) がある。
ミディアム・グロウン・ティーMedium Grown Tea
標高約670~1,300メートルの産地。
芳しい香りとやや渋めの味。キャンディー (Kandy) などがある。
ロー・グロウン・ティLow Grown Tea
標高約670メートル以下の産地。
一般に濃厚な味で、香りが少なめ。チャイ用として中東で人気のあるルフナ (Ruhuna) などがある。
アーユルベーダとは、古語で命の科学
スリランカにおけるアーユルベーダは、紀元前3世紀にインドから仏教が伝わった際に一緒に伝来したと言われています。伝来以前は、デーシャチキッサという固有の伝統医学があり、スリランカにおけるアーユルベーダは、この固有医学と組み合わさったものになります。
イギリス統治下に西洋医学が導入され、国の支援を失い衰退したが、独立前の1928年に伝統医療委員会が設立され、1961年にはアーユルヴェーダ法が制定されて公的に医療として認められ、1980年には伝統医療省が設立されている。
そして、内乱後に観光客が激減したことからの外資獲得の手段として、ホテルでアーユルヴェーダを行う外国人向けの医療ツーリズムが取り入れられ、観光客増加に成功している。
スリランカでアーユルベーダに関わる仕事にするには、五年館の学校にいく必要があり、医学、薬学、化学、科学、農業、をしっかりと習得したのちに仕事に就くことができるとのこと。
観光客に開放されている農園などでは、観光客相手の体験のお手伝いをし、チップなどで軽いアルバイトが許されているようで、熱心に反応を見たり質問に答えたりしています。
医学としての考えがありますので、糖尿病や貧血といったことにも、植物のどの成分が、どのように反応して、問題を解決するのか?といったことにもきちんと医学的、化学的に答えてくれますが、本来の伝統的なアーユルベーダには、それぞれの治療の得意分野があるようです。これらの解説は、素人には難しく、実際に医療の現場で働いている方とも一緒に話を聞いてみたいものです。
現地の方に話を聞くと、スリランカでは、「目が悪くならないようにお母さんが、子供の頭皮をオイルマッサージしてくれる。だから、スリランカ人は、メガネをしている人が少ないでしょう?」といったことを話してくれました。
伝統医療省ではアーユルヴェーダだけでなく、シッダ医学、ユナニ医学、デーシャチキッサなどの伝統医学も保護・発展の対象になっているとのことでした。
スリランカ内に4校ある専門大学に外国人向けの英語の授業は、一軒の農園で訪ねたところによると残念ながらないかな、とのことでしたが、皆さん、質問にも流暢に英語で答えられているので、可能な気がします。
しかし、人気のある大学は、問いう質問には、もっぱらIT系!とのことでした。
子供と行くなら、ワイルドサファリ
ジープに乗って、野生動物を観察するツアーがあります。ホテルの宿泊と一緒に申し込むと、夜明け前に迎えに来てくれて、そのまま国立公園内へ。
カメラや双眼鏡をぶら下げて、大自然で種を繋ぎ暮らしている動物たちの姿を観察することができます。二、三時間のツアーですが、何の動物も見ることができなかった、といったことはないまずで、クジャクや水牛、ヒョウ、象、猿、ワニ、などの他に、昆虫なども含め図鑑でしか見ることのなかった様々な動物を見ることができる。家族サービスで行ったつもりが、大人も大騒ぎ。
私たちの申し込んだ車は、夜は、ミュージシャンだよ、という長いドレットと手足のボブマーレーに似た運転手がワイルドに案内してくれました。
旅行を終えて友人達にスリランカでの滞在話をしていると、サーフィンをする方は、ゴールあたりに行くことが多く世界からビーチリゾートを求めて人が集まるインターナショナルリゾートであることをご存知ですが、一般の人たちは、スリランカとインドの印象が混ざっている人が多いのではないかという印象です。
熱帯地方ですので、生水は飲まないとしても食事に関しては、野外の屋台の食事や道端の果物を食べても日本国内の状態とさほど変わりはなく、ここの部分だけでもインドでの滞在に対する緊張感はかなり印象が違います。もしも、サファリからの道沿いで、素焼きの器が重ねて置いてある屋台を見かけたら、それは美味しいヨーグルトの店ですので、是非立ち寄ってみて欲しい。絶品です。
現在足元にある自然、歴史、文化。技術、人を最大限に生かし国を立て直している。イギリス統治下に西洋近代医学が導入されて衰退したアーユルヴェーダを独立後に公的に医療として認め外資獲得の手段としてホテルに導入し外国人向けの医療ツーリズムを生み出すなど、植民地的な考えや西洋的なモデルから脱皮し、独自の資源や思想からアジア全体へも影響を及ぼしたスリランカ文化。日本も学ぶことが多いはずである。